BRAND
HISTORY



「FUEGO」の物語に、主人公はふたりいる。

29年前、雑誌で見た獣神サンダー・ライガーへの憧れを抱いた少年。
見よう見まねでプロレスマスクを作り始めた彼の相棒は、
新聞配達のアルバイトをして購入した工業用ミシンだった。

「絶対に、作りたい」。「絶対、使ってほしい」。

その想いを胸に日本人レスラーに売りこむも、わずか14歳の幼い気持ちは通じなかった。そこで彼は15歳の春、単身でルチャ・リブレの聖地・メキシコへと渡る。多くの経験と実績を重ね、メキシカンレスラーの信頼と愛用を得ることに苦心した日々。その熱意は日本人レスラーへも広がりを見せ、現在ではキックボクシングやボクシングの世界へも拡大を続けている。

いっぽうでブランド「FUEGO」の一翼を担うのが、ともに歩んできた頼もしきパートナーの存在だ。小学生の頃から重度のゲームフリークだった彼女は、ゲームクリエイター・金子一馬氏に多大な影響を受けて育つ。とりわけゲームのキャラクターデザインに夢中になり、次第にコンセプトをデザインに落とし込む面白さに魅了された。「FUEGO」のデザインから感じるスタイリッシュさを演出するための直線的なラインやウエストを極端に絞ったシルエットなどに、その影響を色濃く残す。

「衣装を作っているつもりはない」。「作っているのは“ヒーロー”だから」。

選手ひとりひとりのキャラクター性を存分に生かし、従来は無骨なラインが主流であったプロレス業界を始め格闘技業界に「FUEGO」ならではのエッセンスを加えたのだ。

夢を同じくするふたりだが、考え方も性格も見事なまでに正反対!理想主義と現実主義、ゆえに何度も何度もぶつかり、夢へと向かう想いが本気だからこそ、衝突しながらここまで来た。まったく異なる性質から生まれる化学反応は、ブランドが高みを目指すうえでも必要不可欠な要素だった。

「FUEGO」の武器は「高いエンターテイメント性と機能性の両立。これまで培ったノウハウ、経験を生かした演出面でのプロデュース力を生かし、勝負の世界において大切な「Never Surrender(決して降伏しない)」精神を守っていく。

依頼主に寄り添いながら生み出される、選手の個性を重視したストーリーやコンセプトのある衣装づくり。創業25周年を機にフィールドをスポーツ用品全般へ広げ、今後もあらゆるアスリートに愛用されるブランドを目指し止まることを知らない情熱でさらなる高みへ挑み続ける。

1997
淡野智彦
14歳のとき、雑誌で見たライガーのプロレス用マスクに憧れて独学で製作をスタート。当時は実家の一室にて、新聞配達のアルバイト代を貯めて購入した工業用ミシンを使っていた。ブランドネーム「FUEGO」はスペイン語で「炎」を意味し、名字の「淡」とメキシコのマスクレスラーの名前に由来。

齋藤恵里
幼少期から重度のゲームフリークであり、高校時代に『真・女神転生』をはじめとするシリーズに出会いその世界観のとりこになり、設定資料集を読み込んではキャラクターデザインを研究するようになる。
実家事務所時代 実家事務所時代
1997
1998
淡野智彦
日本国内のプロレスラーに飛び込みで営業をかけるものの、ことごとく門前払いをくらう。そこで15歳の春に単身「ルチャ・リブレ」の聖地・メキシコへ渡航。メキシカンレスラーに自ブランドの売り込みをするようになる。
1998
1999
淡野智彦
メキシコ国内で徐々に愛用者が増え、実績を積むに従ってマスク以外のコスチュームにも製作の場を拡大。ルチャ・リブレの選手たちから信頼されるにつれて依頼が増え、多くのメキシカンレスラーの担当を務め始める。

齋藤恵里
関西にある某難関大学の経済学部に入学し、大学時代にプロレスと出会う。キャラクター性に富んだ衣装や演出による面白さに魅了され、学生プロレスにキャラクタープロデュースや衣装製作で参加。専門に学んだわけではないものの、好きが高じて活動の幅を広げていく。
2000
淡野智彦
著名なルチャ・リブレの団体「AAA」が日本に上陸した際、所属するレスラーたちのコスチュームを数多く担当。その影響とメキシコで積んできた実績が話題を集め、対戦した日本人レスラーの間でも急速に知名度を上げることとなる。
1999
2003
齋藤恵里
大学を卒業後、大手商社への就職を果たす。営業として働きながらフリーでプロレスのコスチューム製作を続けていたが、実績を重ねるうちに依頼件数が増加。両立の難しさに直面する。
2004
淡野智彦
野球のキャッチャー用具マニアでもあったため、野球のグローブ工場で働きながらマスク職人と兼業。プロレス関連の受注量が増えてきて今後の方向性に悩む中、パートナーである齋藤に出会う。本格的に「FUEGO」として活動していく決意を固める。

齋藤恵里
コスチューム製作は断念しようと自身の気持ちに踏ん切りをつけるため、最後の思い出にルチャ・リブレの聖地・メキシコを訪問。しかし現地のプロレスを観戦して熱狂を目の当たりにしたところ考えを改め、安定とは無縁の生活に身を投じる決意を固める。帰国後はすぐに退職し、フリーでの活動を本格的にスタート。活動の展開とともに表現したいことの幅も広がり、さらなる技術を求めている時に淡野と出会う。
2005
両者が利用していた生地屋の店主の紹介により出会う。アプローチの仕方は違うふたりだったが、エンターテイメントへの熱意と志は同じ。より高みを目指すため、淡野個人ではなく、ふたりの正式なブランドとして「FUEGO」を誕生させる。これを機に奈良県にあるハイツの一室に機材をそろえ本格稼働をスタートする。
2004 2004 2004
奈良ハイツ時代 奈良ハイツ時代
Brand "FUEGO"
2006
開業して二年程度は職人気質で金銭に無頓着な淡野の価格設定や、ごく一部にのみ知られている程度の知名度であったことも含め月10万円を切る売り上げが続く大変厳しい時期を過ごす。しばらくの間は齋藤が終業後家庭教師のアルバイトを掛け持ちして運営費をまかなっていた。
2007
ブランド創業10周年を迎えると同時に、さらなる発展を視野に入れて流通に便利な東大阪へ移る。この時期にはプロレス団体「DRAGON GATE」からも依頼され、大半の選手コスチュームを手がけだす。また演出面での相談も担うようになり、ストーリーやコンセプトをふまえながら二人三脚で作り上げていくスタイルを築く。
2008
有名キックボクサーの依頼をきっかけに、少しずつキックボクシングに関する案件が増え始める。そこで本格的に「キックボクシング事業部」を設立し、業界研究を重ねてスタイリッシュで動きやすいデザインのパンツを生み出す。まだコスチュームにおいては未成熟なキックボクシングの世界にプロレス由来のエンターテイメント性をプラスするべく、淡野が機能性から、齋藤がデザイン面から各選手の魅力を最大に引き出すアプローチでオーダーメイドコスチュームを製作。そのことが話題を博し、西日本を中心としたキックボクサーに絶大な支持を受けるようになって業界内での知名度が急上昇。
2007 2007
東大阪へ移転 東大阪へ移転
2017
創業20周年を機に「株式会社プレアリオエンターテイメント」として法人化、また格闘技コスチュームブランド「FUEGO」となる。淡野が代表取締役社長、齋藤が取締役専務に就任。より多くの受注をこなし、スピード感をもってニーズに応えられる体制づくりに取り組む。
2018
西日本のみならず、全国の格闘家たちへも口コミで評判が広まる。依頼数の増加、遠方からの直接来社希望などを受け、アクセスのよさを重視して大阪市中央区へと会社を移転。月間で100件、年間にして1000件強もの作品を製作。
大阪市中央区へ移転 大阪市中央区へ移転
2017
2022
ボクシングマンガ『はじめの一歩』とのコラボレーションを実現し、自社オリジナルのボクシングシューズをリリース。これを皮切りにオーダーボクシングシューズのサービス提供を開始。大手メーカー中心だった業界への参入を果たす。
2022 2022 2022 2022
2025
後進が育ったのを見届けて淡野・齋藤共にオーダーメイド事業の前線から退く。淡野は原点回帰で積極的に海外へと『FUEGO』のブランドの魅力を伝えに行くため海外進出をメインの活動とし、齋藤は敬愛する「コーエーテクモゲームス」の襟川恵子会長にあやかり、専務から会長に役職を変更して設立当初から会社を裏から支えてきた手堅い手腕を発揮して経営に専念。共にクリエイターとしての誇りを心に留め、新たなステージへ踏み出す。
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